SPECIAL TALK

特別対談

劇場版 おいしい給食 Final Battle

特別対談

企画の成り立ち

「食もの」は以前から人気ジャンルです。そのなかでも「給食」を取り上げようというのはどこから始まったのですか?

永森

「食もの」はどうだと。ただ今更という感じもあるし、そもそも大変そうだと。でも「給食もの」という切り口は新しいんじゃないかと思った。給食を工夫して食べていくスタイルだったので、アイデアが続くかなという恐怖はありましたが、1話書いてみたら面白くなりそうだったので、監督に持ち掛けました。

監督

去年の2月くらいでしたかね。「給食の話を」と。正直、最初、僕はピンとこなかったんです。給食でおもしろくするって、どうしたらいいんだろうと。助監督時代の経験から、食ものが大変だということもわかっていますし。でも、そこからすぐに1話の脚本をあげてこられて読ませていただいたんです。甘利田という教師がとにかくおいしそうに給食を食べて、最後に生徒のゴウに逆転負けするという。甘利田もゴウも魅力的だし、純粋に面白かった。

キャラクター設定

給食バトルものになったわけですが、甘利田という教師と神野ゴウという生徒をどう生み出していったのでしょうか。

永森

基本的には、バカみたいに給食が好きな先生が、とにかくひたすら給食を美味しく食べている姿を定着させられれば、それで勝ちだと思ったんです。でもそれだけでは、ただ「美味しかった、ご馳走様」で終わってしまうので、そこにもう一つ加えたいと思った。そう考えたときに、子供って昔から工夫して食べるやつがいたので、そういうやつに先生が一方的に負けるのは面白いんじゃないかと。あと、これ、実はバトルでもなんでもないんですよね。市原さん演じる甘利田がひとりでずっと悔しがっているだけの話(笑)。ゴウが実際に何を思っているかは分からないまま進んでいっている。いわゆるバトルというよりは、とにかく給食を好きなふたりが、それぞれの在りようで楽しんでいる状況が楽しいんじゃないかなと。

監督

甘利田が、ゴウがニヤッとして見ているとか、こっちを意識しているとか、一方的に受け取ってるんですよね。すべて甘利田の目線であって、本当はゴウはそこまで何も考えていないかもしれない。あくまでも甘利田の心象風景でしかない。ドラマの感想にも、これは甘利田の心象風景だと書かれているものがありましたね。甘利田にはそう見えてしまっている。いろいろな読み方が出来るし、遊べるなと思いました。こちらに見えている映像は幻なのか現実なのか。魅力的な題材だなと。それがたかだか給食という小さな世界でやれるのもいい。

市原隼人の甘利田

甘利田先生を市原隼人さんが演じたのも成功した大きな要因ですね。

永森

岩淵プロデューサーから市原隼人さんを推薦されて、彼がコメディをやったら絶対に面白いと思ったんです。市原さんがインタビューで、役者は笑わせるんじゃなくて笑われるんだと言っていて、なるほどと思いました。笑わせようとしていないからいいんですよね。そこの一途さが、彼自身から滲み出ていてとてもよかった。でも正直、ここまでやってくれるとは思っていませんでした(笑)。いい意味で予想の上を行ってくれたので嬉しかったです。

監督

あれほど突き抜けるには、地力がないとできないと思います。地力がない役者がやったら、浮いてしまって、ただの痛い人になってしまう。市原君だから、ここまで突き抜けても調和が取れているのだと思います。

永森

この脚本の甘利田って、読解の仕方によってはすごく陰湿でシニカルなやつにもできるんです。生徒たちを嘲笑しているようなテンション低めの先生。そもそも校歌で歌って踊るなんて、ト書きにはひとつも書いてないですよね。

監督

あれは僕がやってもらったんです。

永森

そうなんだ。

監督

最初に本読みをしたときに、市原君がかなり突き抜けた甘利田を作ってきて、これはこのままやったら面白いなとなったんです。撮影初日は生徒を叱ったりする普通のシーンでした。2日目にいよいよ給食のシーンに入りました。最初、市原君には校歌を覚えてもらってきていなかったんです。でも初日にあまりに怖い甘利田を撮れていたので、この甘利田が給食を前に校歌をウキウキ歌っていたら面白いなと思って、その場で市原君に曲を渡して練習してもらったんです。イチローの、バッターボックスに入る前の屈伸したりといったルーティーンと同じで、甘利田には校歌を歌って給食を食べることが1セットになっているんです。悩んだのは、給食を楽しみにしていることが、生徒にはバレてはいけないと。なので最初は生徒たちに歌わせるという普通の芝居で考えてたんです。でもノリノリになってしまっても、それこそ心象風景のひとつとして生徒たちにはそこまで見えていなかったり、生徒たちはそこに興味がないんじゃないかとか。いろんな解釈で乗り越えられるんじゃないかと。だったら画としてこちらのほうが断然面白い。それでしっかりと歌って、リズムにも乗っちゃっている感じにしました。あの振りは市原君のアドリブですが。

手をぶつけているのは。

監督

あれも市原君のアドリブです(笑)。

永森

最初は戸惑いましたよ。僕は現場にはほとんどいかないので、最初にラッシュで見ることになるんです。そこで、こうきたかと(笑)。でもよくなっていたので。ただ、心象風景であって、生徒には見えていないという自分のなかで辻褄の合っていた部分が、だんだん壊れていきましたけど。これ、生徒たちは絶対に見えているだろうと(苦笑)。

メガネもよかったです。

永森

あれは最後まで話し合いを重ねましたね。

監督

撮影前日まで。

永森

市原さんとというより、このふたりの間で。最後まで、僕がないほうがいいと言っていたんです。市原さんにメガネという印象がなかったし、メガネってそれだけですごく強いので、かけてプラスになるの? ペルソナみたいになっちゃうんじゃないの?と。

監督

僕と市原君はメガネありでやりたいと思っていたんです。ただ、メガネだけでなく、衣装も合うものがなかなかなかった。最初の衣装合わせではダメで、もう1回やりなおそうとなって集め直してもらったんですが、そのときにメイキングの方がかけていたメガネを「これよくないですか?」と、試してみたらしっくりきたんです。パンツも最初はツータックの太いズボンだったものをノータックのパツンとしたスラックスにして、ワイシャツも少しぴたっとさせた。ネクタイは当時のものを持っていたプロデューサーのものを借りたりして。全部作り直したうえで、もう1度メガネをかけてみて、これはありじゃないかと思い始めたときに、岩淵プロデューサーが、「食べるときだけ外せば?」とポロっと言ったんです。「俺も、食べるときに外すよ」と。それでなるほど!と。

永森

その案で僕も腑に落ちた。実はあのメガネは伊達もしくは、すごく度が薄くて本当はかける必要がないくらいのものだと。メガネをかけているのは、甘利田にとって仮の姿なんです。いわば変装。本気になるのは、給食を前にしたときだけ。そのときだけ外すという。その入れ替わりのタイミングとして使えたのはよかったですね。

ナレーションも抜群です。

永森

うまかったね。脚本を書いていて、思った通りに読んでもらえることってほとんどないんです。それはそれでいいんですけど、市原君は、本当に思っていた通りのナレーションでした。ちなみに、弾けている部分は僕が書いてないところです。「いい風だ」とか僕は入れてませんから(笑)。

監督

あれは僕がお願いしました(笑)。

永森

そうやって完成していくんですよね。キャラクターが。

監督

永森さんが作ったベースの世界観のなかで、演出で付け足しをして、市原君が応えてくれて、すべてが上手くいったパターンですね。

永森

この作品を最初に書いていたとき、『孤独のグルメ』だなと思ってたんです。でも完全に別物になりましたね。

佐藤大志の神野ゴウ

甘利田と対峙する神野ゴウも非常に重要なキャラクターです。

永森

ゴウはキャラクターとしてどうなのか、あまり分からなかったんですよ。だいたいそんな子がいるのかと。子役って期待しても裏切られたりするので。でも表情がいい子がいいなとは思っていました。無言でリーディングしていく雰囲気にしていって、一方的に甘利田が心をかき乱されていけばいいなと。気を付けたのは、そういう子って、いじめられっ子だったり家庭に問題があったりといった、特殊なキャラクター付けをされることが多いんですよね。それはいやだなと。食ものというところに中心軸があるのなら、クラスはあくまでも普通のクラスで、ちょっとつっぱっている子がいても、可愛いもので、ゴウも、おかしなやつだとは言われているけれど、別にいじめられているわけじゃない。そんな普通の子が、給食が大好きというほうが面白いと思いました。

実際に佐藤くんが演じたのをご覧になっていかがでしたか?

永森

いいなと思いましたよ。監督も最初から、いい子がいたと言ってましたね。

監督

永森さんから、ずっとプレッシャーをかけられてたんです。「監督、ゴウは難しいですよね」「ゴウの子は上手くないと」と会うたびに言われていて。これは変な子を持ってきたらヤバイぞと(苦笑)。

市原さんの甘利田が素晴らしいだけに余計に。

監督

難しい。市原君に対抗できる子役で、わざとらしくないナチュラルな演技ができて、どや顔をするんだけど憎めない。こんな条件を満たすやつがいるんだろうかと。オーディションで400~500人に会いましたが、佐藤大志しかいないと。この子以外は考えられないと思いました。撮影中も鍛えて、子役としては扱わずに、ひとりの若手俳優として尊重しながら、市原君以上にいろいろ要求して話し合ってやっていきました。

武田玲奈の御園ひとみ

御園先生もステキな先生でした。武田さんもぴったりで。

監督

武田さんとは過去にも仕事をしていたので、非常にやりやすかったです。本当に真面目な方で、信頼しています。武田さんを通して現場の演出をしていました部分もあります。

武田さんを通して??

監督

主演俳優と監督って、現場では必要なことしか話をしたくないんです。でも現場を引き締めたいときもあります。そうしたときは武田さんに話している姿を、生徒や市原君にも見せて、「このシーンは監督こだわっているぞ」というのを伝えるんです。最後の教室のシーンとか。スタッフも黙らせて、シーンとした空気を作って本番に入りました。あそこは、市原君が唯一、「もう1回お願いします」と言ったシーンです。武田玲奈に対して、自分のテンションが足りなかったと感じたのか、もう一度と。武田さんは本当にうまくなっていて驚きました。コメディシーンもしっとりしたシーンも、僕としては一番信頼してやれていました。

ドラマから映画へ

映画版ではどういうところを見せようと?

監督

プロットをいただいた段階で、甘利田が新たな道に行くという方向がありました。そこを軸にしたうえで、現場で演出していくなかで、甘利田とゴウのしびれるような芝居というか、関係性に特化していきました。映画の終盤なんて、ひたすらふたりの関係ですから。放送室のシーンで終わってもいいわけですから。でもそこからすごく長いエピローグがある。ここを飽きさせないようにというのは、すごく意識しました。後半はものすごくしっとりと、遊びなし。真剣勝負の、オーソドックスな撮り方をしました。みんなにも、前半と後半は明確に変えていくと伝えていました。

永森

ドラマを見ていることを前提に作ってはいけないと肝に銘じていました。映画単品で楽しめるように絶対に作らないといけない。テーマとしては、映画になったからといって極端に変えるつもりはありませんでした。ただ、ここまで走ってきたやつらの帰結みたいなものはいるなと感じていました。甘利田が直面する変化と、あと、映画版では「給食の危機」が大きな柱として描かれます。給食がなくなるということは実際にあることですし、当時、子供の数が多くなって、中学まで手が回らないというのは十分にあり得た。「給食がなくなります」「ゴウが生徒会に立候補します」「甘利田の環境に変化があります」。この3つを成立させようと。

ドラマを見ていない人も、最初の給食のシーンで、世界観が分かりますし。

永森

どうやら給食が好きな教師と生徒がいて、毎回こんな感じでバトルしていたんだなというのを知ったうえで、後半のドラマに突入していく。

監督

観ている方に、前半と後半の変化がバレないように、自然と引き込まれながら観てもらえることを意識しながら、はっきりと芝居の撮り方を変えていきました。

前半は大いに笑って、最後はとても感動して、涙しました。

永森

まさか『おいしい給食』で感動するなんてね(笑)。